熊本大学 大学院生命科学研究部附属 健康長寿代謝制御研究センター
精神病態医学講座
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分子から挑むこころの病気の治療と予防
うつ病の治療薬をグリアに着目して創る
現在、うつ病の治療に使われる抗うつ薬は多くの患者さんに効果がありますが、それでも約3割の方には十分に効かない「難治性うつ病」が存在します。私たちは、この課題に立ち向かうため、脳内の「グリア細胞」に注目しています。グリア細胞はこれまであまり注目されてこなかった“神経を支える細胞”ですが、実は精神疾患の発症や治療に深く関わっている可能性があります。
私たちは、“温故創新”の視点から、1950年代に偶然発見された三環系抗うつ薬(TCA)に再び注目しました。TCAは、現在主流のSSRIなどが効かない重症例に対して高い効果を示すことが知られていますが、その詳しい作用機序は長年不明のままでした。
研究の結果、TCAがグリア細胞に多く発現する「リゾフォスファチジン酸受容体1(LPAR1)」を標的としていることを私たちは突き止めました。これは、グリア細胞を介したまったく新しい治療メカニズムを示唆しています。
現在、この知見を応用して、既存の約1,600の薬剤から新たな抗うつ薬候補を見つけ出す「ドラッグリポジショニング研究」を進めています。中枢神経に届き、LPAR1に作用する有望な薬剤を絞り込み、動物モデルでその効果を検証中です。

ニューロモデュレーション治療のしくみを解明して、社会に広げる
うつ病などの精神疾患の中には、緊急性が高く、重症で薬が効きにくい「重症・難治性」のケースもあります。そうした場合に有効とされるのが、脳に直接刺激を与える「ニューロモデュレーション治療」です。代表的な治療法には、修正型電気けいれん療法(ECT)や反復経頭蓋磁気刺激療法(rTMS)があり、その効果は科学的に実証されています。しかし、受けられる施設は限られ、一般への認知もまだ十分とはいえません。また、「電気や磁気を使う」ことへの誤解や不安も少なくありません。
私たちは、こうした治療法が脳にどう作用して効果を生むのかを、グリア・脂質代謝・炎症・免疫などの多角的な視点から明らかにし、脳内の変化を“見える化”する研究を進めています。
また、日本精神神経学会、日本うつ病学会 、日本総合病院精神医学会、臨床TMS研究会などのニューロモデュレーション委員会活動を通じて、治療の普及や新たな技術の社会実装にも貢献しています。
精神疾患の手がかり(バイオマーカー)を探し、新しい治療法を創る
うつ病や統合失調症などの精神疾患は、脳内の炎症、脂質代謝の異常、神経栄養因子の変化など、グリア細胞を介した多様な生物学的プロセスが関わっていると考えられています。しかし、その全体像はまだ十分に解明されていません。
私たちは、血液や脳脊髄液を解析し、精神疾患に関連する分子バイオマーカー(病気の手がかりとなる分子)を探索しています。特に、マトリックスメタロプロテイナーゼ(MMP)、リゾホスファチジン酸(LPA)とその産生酵素であるオートタキシン(ATX)、神経栄養因子の一つであるグリア細胞株由来神経栄養因子(GDNF)に注目してきました。その研究の結果、うつ病患者ではMMPが上昇し、LPA/ATXやGDNFが低下していること、またこれらが抑うつ症状の重さや治療反応性と有意な関連を持つことがわかりました。特に、血液や脳脊髄液中のATXやドコサヘキサエン酸-LPA(DHA-LPA)の低下に注目し、現在はLPAを補うことでうつ病を治療する新たなアプローチ(LPA補充療法)の前臨床研究を企業と共同で進めています。
地域の高齢者を長期的に見守り、認知症やうつ病の予防法を探る
高齢化が進む中で、認知症やうつ病を抱える高齢者の数は年々増加しています。これらの疾患を早く見つけ、予防につなげることは社会にとって大きな課題です。
私たちは、熊本大学神経精神医学講座と連携し、熊本県荒尾市にお住まいの約1,500人の高齢者を対象とした大規模なコホート研究(長期間にわたって同じ方々を観察する研究)を行っています。この研究では、加齢に伴う脳の構造変化や生活習慣が、認知症やうつ病などの発症にどう関わっているのかを長期的に追跡し、早期に現れるサイン(危険因子やバイオマーカー)を見つけ出すことを目指しています。
現在は、企業との共同研究として、保存されている血液検体の解析を進めており、将来的には認知症のリスク評価や、新しい診断・予防マーカーの開発につなげることを目指しています。